Twilight

一息つきたいあなたへ。

北の島でのステキな一夜

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民宿には、ホテルにはない魅力がある。

礼文島という島を聞いたことがあるだろうか。日本のほぼ最北端にある、人口2,450人ほどの、高山植物が咲き乱れる美しい島である。

稚内からフェリーで2時間。東京では連日35℃超えの猛暑日が続いているというのに、この島ではパーカーを着ていないと肌寒い。島に到着すると、やや無愛想な男性が民宿の車で迎えにきてくれた。対岸の利尻富士を眺めながら、海沿いの道をワゴン車で進む。車内で友人が男性に島についてあれこれ質問するも、回答はそっけないものだった。

宿は、海辺にたつ赤い屋根のかわいらしい民宿だった。玄関の前では、祖母と孫らしいご年配の女性と体操着を着た中学生くらいの女の子が、ベンチに座って楽しそうにお喋りしていた。

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宿泊した民宿

部屋に荷物を置き玄関へ降りる。すると、さきほど迎えに来てくれた無愛想な男性が肩に手拭いをかけ、私たちに会釈もせずに浴室へと歩いて行った。「宿の人がこの時間に堂々と入浴?」不思議に思いながら自転車の準備をしていると、今度はやけに愛想のよい男性が現れた。

「あのひとは、毎年来てくれる常連さんでねえ。普段は関東に住んでる、自転車の有名な選手なんだよ。」

無愛想な彼はなんと民宿の人ではなく、私たちと同じお客さんだったのだ。

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夕食

近くの神社で日本海に沈む夕陽を眺めたあと、夕食メニューの当てっこゲームをしながら宿へと帰った。

新鮮な海の幸が盛りだくさんの夕食を堪能していると、 給仕をしてくださっていた女性がパタパタとやってきた。

「明日のトレッキングプランについての打ち合わせで、所長がロビーでお待ちですよ!」

ロビーへいくと、さきほどのやけに愛想の良い男性が笑顔で待っていた。この人がどうやら「所長」らしい。彼はトレッキングプランの話を簡潔に決めたあと、宿のアルバイトの高校生の話や自身の経歴などについて、小1時間ほど話し続けた。奥さんは、たまたま群馬県からこの民宿へ泊まりにきていて出会ったのだという。そして彼は何かにつけて、

「君も移住してきなよ。」

と言うのだった。

気がつくと夜9時だった。化粧も落とし、寝る気満々のスタイルで浴室を出ると、玄関に笑顔の所長がいた。

「みんなで星をみにいかない?」

星。じつは私は、美しい星空をみることが大好きだ。願ってもいないチャンスに、二つ返事でいくことにした。

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民宿の方々に連れられてみた星空

 所長にフリースを貸してもらい、車で山の上へ行った。常連さんと私たちはレジャーシートの上に仰向けに寝転がった。そこで、うまれてはじめて天の川を見た。何十回も、流れ星を見た。イカ釣り船がお休み中のお盆は、とくに星空が綺麗にみえるのだそう。私たちはいつまでもいつまでも、北国の澄んだ空気の中で、夜空いっぱいの星空をながめていた。

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突如招待された謎の飲み会

星空を堪能し宿に戻ると、所長に「今から一杯やろう」と誘われた。断る理由もないため行ってみると、そこには20年来の常連さんしかいなかった。さきほどの無愛想な男性もいる。

それぞれ、本州から毎年長期休暇を利用して訪れているようだった。中には大阪と礼文島で、年に半分ずつ住んでいるという方もいた。その方から、礼文島の漁業事情や島の人間関係について一通り聞いた。

「礼文島と大阪で、全然違う人生を同時並行していてすごいですね。」

と言うと、彼女は

「人生、たのしめ!」

と笑った。彼女は以前、南米にも長期間住んでいたことがあるという。「人生、たのしめ!」という言葉に、無愛想な男性が笑顔で静かにうなずいていた。今の私には、この言葉がむず痒く感じてしまった。

机の上は、全国各地からのお土産や礼文島のお魚が溢れかえっていた。横では所長が、「国勢調査までに移住してきてくれると嬉しい。」

と、冗談なのか本気なのかよくわからない様子で、何度も繰り返していた。

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 翌日、予定通りトレッキングを遂行し、最後は所長にフェリーターミナルまで送ってもらった。所長は、

「昆布漁はとくに人手が不足しているから、いつでも来てね。」

と、相変わらず本気なのか冗談なのかわからない調子で話す。

 

帰りのフェリーの中、宿にいた人たちの顔をひとりひとり思い出していた。そして、私の中にある意味のない枠組みの外に、世界は広く広く広がっているのだと感じた。

「昆布漁、手伝いに来てしまうかも。」

と友人が言った。

「わたしはウニがいいな。」

と返す。満点の星空のように広い世界の中で、私たちはこれから、どう生きようか。

 

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停電した街と江南スタイル

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あの夜、国籍も言葉もバラバラの大学生たちが、ベトナムの片田舎で踊っていた。

2013年夏。私たちは大学1年生で、夏休み限定でベトナムにあるハノイ貿易大学へ留学していた。この大学には他にも様々な国から留学生がきていた。あるとき、ハノイから車で数時間走ったところにあるハロン湾へ観光へ行くことになり、そのついでに近くにある大学の分校で歓迎パーティーを開いてもらえることになった。

 行きのバスから帰りのバスまで、私たちはドイツ人学生と行動を共にした。彼らはとても陽気で、常にビールをあおるように飲み、好きなときにバスを止めて用を足し、好きな音楽をジャンジャンかけていた。

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歓迎の出し物をしてくれたベトナム人学生

この日、ハロン湾の天気は最悪だった。ビーチを散歩しているとひどい土砂降りにあった。同じ学科から一緒に参加していた友人と途方に暮れて立ち尽くしていると、チャラいなあと軽蔑していたドイツ人学生がタクシーを呼び、お金を払って送り届けてくれた。

人間というのは単純なもので、これ以降しばらくの間、私は彼に少し憧れていた。

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留学生たちは、それぞれ自国の伝統的な歌やダンスを披露した

夜。いよいよパーティーがはじまった。それぞれの国の学生が、自国で流行っている歌やダンスを披露する。

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発表を楽しむ学生たち

ドイツ人学生が場を盛り上げる。

それぞれの発表が終わり、パーティーもお開きかと思われたそのとき。突如として、当時世界中で流行していた江南スタイルが会場中に響き渡った。

すると、それまでの少し堅かった雰囲気が一変した。国籍を問わず全員が立ち上がり、まるで何かに取り憑かれたかのように熱狂的に踊り出したのだ。じつは私はこの曲を知らなかったのだが、なぜか周りと同じかそれ以上に、体が勝手に動きだしていた。

さきほどまで赤の他人だった言葉もろくに通じていない学生たちと、ベトナムの片田舎で踊りくるった。あらゆるしがらみから解放され、刹那的な喜びを全身で感じていた。幼少期に8年間クラシックバレエを習ったのだが、その8年間のどの瞬間よりも、心のままに情熱的に踊り狂った。

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停電した街で

ホテルに帰ると、なぜか街中が暗闇に包まれていた。もちろんホテルにも明かりが一切ない。聞くと、街中で停電が起こっており、復旧には3時間ほどかかるとのことだった。この街ではよくあることらしいが、私にとっては生まれて初めての本物の暗闇世界だった。

電気がなければ部屋にいても何もできない。そこで、ドイツ人学生と私たち日本人学生は、ビーチで飲み会をすることになった(といっても当時未成年だった私は、水しか飲まなかったのだが)。飲み会では、恋愛の話や専攻の話、これまでの旅行の話など、普段サークルで話しているような、ありきたりな話しかしなかった。それなのに、ベトナムの真っ暗闇の片田舎にいるという不安感からか、まるで、世界を大きく揺るがすような特別な秘密会議をしているような気がしていた。

 

その後、タクシーの彼にお別れの手紙を渡し(ラブレターではない)、Facebookを交換して帰国した。帰国後も2、3通メッセージのやりとりをしたものの、今ではFacebookの友達リストの中にいるだけの関わりしかない。彼らとは、おそらく今後二度と会う機会はないだろう。それでも、あの刹那的ですこし哀愁のある思い出が私の心の中にあるかぎり、彼らはいつまでも、わたしの大切な友人なのだ。

 

普段私は「期日までにこの仕事をしなければ」「将来のためにこれをしなければ」などと、刹那的という言葉とは真逆の生活を送っている。でも本当は、もう少しあと先を考えず、今この瞬間を充実させることに集中してみてもよいのかもしれないと、最近思うのだ。

 

 

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コロナ時代のオンライン筋トレのすすめ

 

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時は令和、コロナ時代。

在宅勤務が当たり前となったこの時代、若者たちの体はなまりになまりきっていた。このままではコロナ明けに筋肉が残っているかわからない・・・不安に駆られた彼らは、オンラインで集まり、スクワットを100回することにした。

 

金曜、夜9時。ライングループ上で密かに集まった若者たち(部活の同期)は、元気に声を揃え、スクワットをはじめた。

「いーち!にーい!・・・」

4人の威勢のよい掛け声が、1人暮らしの静かな部屋に響き渡る。オンライン飲みもいいけれど、今からだが一番欲しているのは、運動なのだ。

 

「九十九、ひゃく!!!おつかれ〜!」

 

終わったあと、1人が「高校生活みたい」とつぶやいた。たしかに、と思った。

筋トレは、みんなでやるとなぜか楽しい。一緒にやれば、多少きついことでも楽しく感じられるし、終わったあとには大きな爽快感と達成感を得ることができるのだ。

 

このおかしな時代を、生かすも殺すもあなた次第である。

 

ニューヨークで胃腸炎にかかり、1人で寝込んでいた話

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去年の冬のこと。わたしは突然胃腸炎にかかり、ニューヨークでひとり寝込んでいた。

当時、わたしは1ヶ月ほどかけ、アメリカを旅していた。ニューヨーク独特の凍えるような寒さのなか(余談だが、ニューヨークの緯度は青森市とほぼ同じである)、異国のよくわからないスポドリを枕元に置き、ひとりで貧乏ゲストハウスに横たわっていた。

それはあまりにも辛く、心細いものであった。

これまでにも海外はよく旅していたのだが、はじめて、心の底から日本へ帰りたいと思った。

 

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泊まっていた部屋。熱を出す前日まで、下のベッドには猫がいた。

もはや修行である。

いや、そもそも胃腸炎にかかる前から、修行は既にはじまっていた。

下のベッドには前日まで宿泊客がいたのだが、彼女は宿に秘密でネコを連れてきていた。動物が苦手なわたしは、毎日知らないネコにおびえ、フンを踏まないように床をおそるおそる歩いていた。

それだけでも辛いのに、ボロボロの廊下では毎晩、下着姿の老人がなぜか徘徊しており、うかうかトイレにもいけないのである。

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毎晩、下着姿の謎の老人が徘徊する廊下

(そもそもなぜこんな貧乏ゲストハウスに泊まっているんだという声が聞こえてきそうである。女性のひとり旅では宿泊地の治安の良さは絶対条件なのだが、ここニューヨークでは、治安の良い場所の宿泊費の水準が異様に高い。おまけに1ヶ月にも渡る長期旅行である。学生の経済力では、ここが精一杯なのであった。ちなみにこのゲストハウスは、アッパーウェストサイドという大変治安の良い場所に位置している。セントラル・パークの真横と観光にも大変便利なので、いろいろなことが気にならない人であれば、おすすめの宿である。)

医師である友人のアドバイスを受け、スポドリを飲みつつ、ただひたすらベッドに横たわっていた。思い出すのは家族や恋人がいる日本のことと、友人もでき、日差しもあたたかな、数日前まで滞在していたロサンゼルスのことばかりである。

 

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枕元のようす。ここで3日間寝込んでいた。

せっかくマンハッタンのど真ん中にいるのに、早くニューヨークから出たいという気持ちしかなかった。日本で当たり前のように身近にあったものがどれほど大切なものだったのかに、24歳にしてはじめて気がついたのだ。

数日間天井を眺めながら、風邪をひいたときに恋人がお粥をつくって食べさせてくれたことや、いつもそばにいる恋人のこと、日本食がたくさん売られている近所のスーパーのことを考えていた。

 

 近くにあるものの大切さについては、幼少期から現在に至るまで手を替え品を替え何百回も聞いてきたし、自分なりに理解しているつもりであった。でも異国の地で病に倒れてはじめて、本当に心の底から実感することができたのである。

薄暗く不気味なゲストハウスで、ベッドに横たわりながらそんな道徳の教科書のようなことを考えていた。

 

この経験のせいか、今でもニューヨークには苦手意識があるし、アメリカ周遊で思い出すのはロサンゼルスのことばかりである。

でもこの街からは、人生においてとても大切なことを教わった気がするのだ。

 

 

絵本100万回生きたねこは本当にハッピーエンドなのか

 

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これは、百万回も生きたねこが、二度と生きかえらなくなるまでの物語である。

 

「おれは、百万回もしんだんだぜ。いまさらおっかしくて!」

死ぬことも生きることも、ねこにとってはどうでもいいことだった。どんなに多くの人に愛されようが、ねこはその人たちのことがきらいで、ただ、自分のことがだいすきだったのだ。

ところがあるとき、白いねこと恋をし、そのねこと子ねこのことが、自分よりもすきになってしまう。そして最期は、白いねこの亡きがらの横で何日も泣きつづけ、そのまま動かなくなるのである。

幼少期にこの物語を読んだとき、ねこが白いねこの亡きがらを抱えて泣く挿絵があまりにもかわいそうで、心が締め付けられた。あれだけ強気だったねこが、あまりにも悲しげに泣くのである。しかし、ねこは他者を愛すことの幸せを知り、満足のゆく人生を送ることができたからこそ、もう二度と生きかえらなかったのである。この絵本は愛について描かれた、美しいハッピーエンドの物語であると捉えていた。

 

しかし今、改めて読み返してみると、この絵本はそんなに単純な物語ではないように思えてしまう。妻である白ねこは、ねこに対して、常にそっけない返事しかしない。そしてそんな受け身の姿勢のまま、彼女の気持ちは一切表現されることなく、しずかに死んでゆくのである。愛してくれたものに大変悲しまれるその姿は、他者を愛することを知らなかった頃のねこと、瓜二つなのである。

 

つまり、この物語には、他者を愛することの尊さだけでなく、お互いに愛しあえることの希少さも描かれているのである。実際に、作者である佐野洋子氏は、この物語を出版した三年後に、夫と離婚している。

 

しかしそれでもなお、この物語からは、他者を愛することへの絶対的な信頼を感じる。たとえお互いに愛しあうことが難しくとも、他者を心から受け入れることができたなら、それだけでとても幸せなことなのだと思う。

【検証】女性1人で牛角食べ放題の元は取れるのか

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帰宅途中、無性に焼肉が食べたくなった筆者は、1人で最寄駅の牛角に立ち寄った。

お気軽コースを頼み、マイペースに食事をした。デザートの杏仁豆腐まできちんと完食し、一息ついたところでお会計をお願いしたのだが、この時ふと、自分が元を取れているのかどうか、急に不安になってしまった。

そこで本記事では、女性1人で牛角食べ放題の元を取ることが可能なのかどうかを、実際のレシートを元に検証する。

 

 

◼️被験者(筆者)について

・健康な25歳女性会社員

・睡眠時間は8時間程度

・普通よりは、やや食べるほう

・ランチは普通に食べている

・ランチから7時間経過

 

◼️本検証の条件

・コースは、2980円のお気軽コースとする

・飲み物は水のみ

・食べ残しは絶対にしない

・無理をしない

・コスパを気にせず食べたいものを食べる

・食事中、このような記事を書くことは一切想定していなかった

・制限時間90分のところ、70分で退店した

 

◼️お気軽コースについて

・80品以上が食べられる、牛角で最も安いコース

・最初は強制的にキャベツととんタン塩が提供される

・制限時間90分、ラストオーダー70分

 

◼️結果

・やみつき塩キャベツ 1人前(お通し)290円

・とんタン塩 1人前(お通し)390円

・厚切りカルビ塩だれ 1人前 550円

・ごはん 中         260円

・牛ホルモン塩ダレ 2人前  980円(490円×2)

・牛ホルモン旨辛味噌 2人前 980円(490円×2)

・テジハラミタレ 1人前   550円

・カクテキ 1人前                290円

・蜜おさつバター 1人前   390円

・枝豆 1人前        190円

・甘辛温玉ヤッコ 1人前   390円

・韓国のり 2人前      200円(100円×2)

・杏仁豆腐いちごソース 1人前 250円

 合計          5,710円(税抜き)

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証拠写真

 

 

◼️まとめ

結果より、筆者は2,980円(税抜き)で5,710円(税抜き)分食べていたことがわかった。決して無理せず、完食できる量だけを食べてもこのような結果が得られたことから、本コースでは女性1人でも元は取りやすいと考えられる。

しかし、牛角の楽しみ方はコスパよくお肉を食べることが全てではない。

本検証の際、横でカップルがお酒を飲みながら本コースには含まれないユッケを食べていたのだが、そんなふうに少し高いメニューをお酒と一緒に少しずついただくのも、素敵な楽しみ方である。

また、「そもそも女性が1人焼肉だなんて恥ずかしくないの!?」という声が飛んできそうだが、牛角ではカウンター席がある場合が多く、カウンターの隅に案内してもらえれば、人目が気になることはほとんどないと思う。もちろん人による部分もあるだろうが、実際に今回1人で食事をしてみて、人目が気になったことは1度も無かった。

 

本記事を通じて、焼肉食べ放題を気軽に楽しむ女性が増えることを願ってやまない。

 

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カンボジアの水上生活の村と4人の若者

 

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水上生活の村へと続く道

大学の授業で写真を見た時からずっと、水の上で暮らす人々のことが気になっていた。

水の上に高い高い木の柱を立て、家族みんなで仲良く生活をする、そんなイメージ。ジャパンの社宅ジャングルの中で育った私(https://twitter.com/sounds_shick)は、その牧歌的で優雅なイメージに対し、強い憧れを抱いていた。

 

村へは、シェムリアップ市街からバスで1時間ほど。のどかな農村風景の中、たびたび土埃に襲われながらも、バスは進んだ。vv

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午後の暖かな日差しが差し込む中、熟睡する友人

バスでは後部座席がちょうど空いていたため、そこに座ることにした。 私が横にいた友人と話していると、気がついたらあとの2人が眠っていた。穏やかで温かな、午後の時間が流れてゆく。

バスを降り、小舟に揺られて10分ほど進むと、水上住宅が見えてきた。想像以上に高さが高く、郊外のレジャー施設にある大きなアスレチックのようにも見える。

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水上生活の村

それぞれの家は鮮やかな色で彩られ、高くて急な梯子がかかり、そして風通しがあまりにも良すぎる。ジャパンで生まれ育った私には何から何まで非日常に感じてしまうのだが、そこではお年寄りから子供まで、何ということのない顔でのほほんと日常生活を送っていた。

 

 

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泥の坂道を滑り台にして遊ぶ子供

川辺には、たくさんの子供たちの姿があった。彼らが泥の坂道を滑り台にして興奮気味に遊ぶのを眺めていると、自分の幼少期と重なった。私も幼い頃、社宅の子供たちと同じような雰囲気で、同じようなことをして、同じような表情で遊んでいた。建物など見た目の違いこそあれ、世界中どこでも、人の心情や行動にはさほど大きな違いは無いのかもしれない。彼らはきっと、毎日観光客が小舟でやってきては「日常」の写真を撮っていくことを、不思議に思っているのではないか。

 

 

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魚を釣る人

集落を抜けると、湖までの道のりのあちこちに魚取りに励む人々がいた。私もしばらくの間、毎日泥だらけになって魚を捕まえてみたいなあなどと思ったりした。

 

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雨季のトンレサップ湖は、琵琶湖の13倍もの広さがある

トンレサップ湖では、湖上に浮かぶレストランで食事を取った。カンボジアはどこで何を食べても美味しい国なのだが、ここで飲んだアボガドシェイクは特に絶品だった。あまりにも美味しくて、友人と、いつの日か日本に大きなアボガドブームが訪れるのでないかという話をした。

 

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日暮れとともに自宅へ帰る村人

レストランからの帰り道。地平線の果てまで続く雨季のトンレサップ湖は、少しずつオレンジ色に彩られていった。村人たちも、日暮れとともに自宅へと向かう。この時、隣にいた友人が、アイルランドに転勤したい件についてなぜかしきりに語っていた。「なぜアイルランドなの?」と尋ねると、最先端の仕事が出来るからということだった。トンレサップ湖で魚を取る人々を眺めながらIT分野の最先端に思いを馳せるのは、なかなか奇妙な体験だった。

 

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帰りのバスから見た夕焼け

帰りのバスで、アイルランドに行きたい友人に、もし君がここに生まれていたらどんな人生を歩むかと尋ねてみた。

「こんな田舎何としてでも出てやるぞ!って頑張ると思う」と答える彼に、「わたしもそうするだろうな」と返した。

すると、その横にいた友人が、

「僕ならここで一生家族と仲良く、ゆっくりした生活を送りたいと思うだろうな。」

とぼそっと呟いた。

もう1人の友人は、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

 

 

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おじいさんが手を振ってくれた

もうすぐ村を出るという頃に、通りすがりのおじいさんが手を振ってくれた。

バスは進む。

40年後くらいに、また4人で会ったら、一体どんな話をするのだろう。

その頃には泥の坂で遊んでいた子供たちも、アイルランドや、もしかしたら地球の外で、生きているのかもしれないし、私はトンレサップ湖で魚をとっているのかもしれない。

 

おじいさんに手を振り返していると、人生の山や谷や川や荒波なんて、そのままにしてどこかへ遊びに行ってしまってもいいのではないかという気がした。

 

 

 

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シェムリアップの激安マッサージ屋には気をつけろ

 

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「マッサージしたいね!」と、友人が無邪気に言った。

ここはカンボジア、シェムリアップ随一の歓楽街、オールドマーケット。私(https://twitter.com/sounds_shick)たちは大学の部活の同期4人で、東南アジア特有の、活気の中にどこか懐かしさを感じる街を歩いていた。

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シェムリアップ随一の歓楽街、オールドマーケット

オールドマーケットには、いたるところに激安(30分300円とか)のマッサージ屋がある。早速マッサージを提案した友人A(女性)が、1人で目についたお店の店員さんに声をかけにいった。しかし、そのお店には空席もたくさんあり、手の空いたスタッフもたくさんいたにもかかわらず、「手が空いていない」という理由によりあっけなく振られてしまった。

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断られたお店。暇そうに見えるが・・・

 

「えーなんで」などと不平不満を言いながら歩いていると、すぐに別の激安マッサージ屋を発見した。今度は友人B(男性)が声をかけにいくと、すぐに店の中へと通してもらえた。

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私たちが入ったお店

全身マッサージコースを選択した私たちは、店の奥へと連れて行かれた。てっきり店頭のソファーで行うものと思っていたため、少々驚いた。

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店の奥は意外と広かった

生活感の溢れる通路を抜け、店の奥までいくと、赤いカーテンで仕切られた座敷が広がっていた。

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薄暗く、怪しげな座敷

怪しい場所だなと警戒しつつ、前を歩く友人B(男性)について行こうとすると、全身マッサージだからという理由により、男女で部屋を分けられた。

 

私と友人A(女性)は手前の部屋、友人Bと友人C(男性)は、奥の部屋へと連れて行かれた。

 

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驚くほど手抜きなマッサージをされる私たち

通されたそこは、あまりにも怪しげな空間だった。店頭ではエアコン完備をやたらと推していたはずなのに、実際はボロボロの扇風機が悲しげにゆっくりと回転しているだけだし、布団も枕も壁も、全て薄汚れていた。何より、あまりにも薄暗すぎる。上の写真はフラッシュを焚いて撮影したもので、実際はこの写真よりもずっと暗かった。そこには、小学校で習った発展途上国のイメージが、そのままの形で存在していた。

肝心のマッサージはというと、300円を払う価値もないような、超テキトーな素人マッサージだった。部屋に通されてから5分以上経ってやっとマッサージ師が登場。スマホでしっかりタイマーをセットしたあと、数分間ほとんど力の入っていないテキトーなマッサージをされた。あまりにも力が入っていないため強めの施術を希望すると、今度はいきなり背中の上に立ちひたすら踏みつけられ、そして休憩のために去り、15分ほど戻らなかったのだ。背中を小太りのおばさんにひたすら踏まれ、その重みに耐えている時、私は一体なにをしているのだろうか・・・とついつい感慨深くなってしまった。

日本は過剰サービスであるとはよく言うが、そのような背景を抜きにしても、いくらなんでも酷いサービスだったと思う。(なお上と下の写真は、施術者が休憩のために途中退席し、暇になったため撮影できたものである)

 

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私たちが施術される横でスマホゲームを楽しむ子供

マッサージをされている間、横ではなぜか子供がスマホゲームを楽しんでいた。子供よ、君はこんなロクでもない商売をする大人になってはいけないよ、生育環境としては最悪だけど、頑張って這い上がって立派な人になっておくれ、と心の中で呟いた。

 

そうこうしている間に30分が経過し、私たちはそそくさと外に追い出され、店頭でお金を支払った。部屋を分けられていた男性2人はまだ出てきていなかった。

 

5分後、友人B、C(男性)がそれぞれバラバラに部屋から出てきた。なぜか2人とも、顔色が悪く放心状態だった。明らかに様子がおかしいため事情を聞くと、すさまじい返答が返ってきた。

 

簡単に言うと、2人は1人ずつ部屋を分けられ、布団に横になった状態で何人ものセクシーなお姉さんに取り囲まれ、「お金を払えばいくらでもセクシーなサービスをしてあげますよ」と交渉されていたようだった。私の担当だった背中踏みおばさんはこのお店のオーナーで、途中退席をしていた間、友人Bに詰め寄り値段交渉を行っていたようだった。値段は日本円にして8000円〜10000円と破格らしいのだが、あまりにもお姉さんたちが強引すぎて、ただただ恐ろしかったようである。彼らはもちろん最後まで断り続け、何もサービスを受けずに帰ってきた。

 

 

後日、改めて同じオールドマーケットにある超高級マッサージ屋で施術してもらったところ、大変素晴らしいサービスを受けることが出来た。

東南アジアでは、マッサージが目的なのであれば、あまり安いお店には入らないこと、そしてよくよく下調べをしてから入店することをお勧めする。

 

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国際線では友達を作ろう

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国際線は、出会いの宝庫である。

CanCam2020年1月号でも触れたが、今年の冬に1人旅をした際も、北京からLAまでの機内で隣の席だった女の子と意気投合し、一緒にLAを観光した。

 

 

彼女とは、現在もSNSを通じて交流している。

また以前友人とインドへ行った際は、デリー行きの機内でGoogleエンジニアのお兄さんと親しくなり、インドの文化やお仕事のお話を伺ったこともあった。

 

オススメは、1人で乗っている若者である。 

国際線に1人で乗る若者はユニークな人が多く、話していてとても楽しい。そのうえ英語のスピーキングの訓練にもなるし、行き先の情報収集もできるし、トイレにも行きやすくなるし、多少幅をとって寝やすくもなる。なにより、同世代の異なる文化圏の友人が何を考えどう生きているのかを知れるのが、本当にわくわくする。

 

映画をぼーっと観るのは、帰国してからでもいくらでも出来る。

さああなたも、高度10000mの世界で、素敵な友達を作ろう。

 

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プリクラとは何だったのか

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プリクラは、最高の娯楽だった。

 

本格的にはまったのは、小学5年生の時だった。

仲良し5人組で頻繁に近所のスーパーのゲームコーナーに行き、プリクラを撮るようになった。夏休みになるとバスで市街地まで遊びに行き、話題のプリクラ機を1日に何台もハシゴした。当時流行っていたエンジェルブルーの服に身を包み、顎ピースでポーズを決め、「仲仔」とか「愛羅武勇」とか「6-2(クラス名)」とか書いて遊んでいた。中学生になると、中学生になったことが嬉しくて、わざわざ中学校のジャージを着てプリクラを撮りに行ったりした。(今考えると、鳥肌が立つくらいダサい思い出である)

 

そういえば、プリ帳という、手帳サイズのプリクラ専用のアルバムも持っていた。そこには自分のプリクラだけでなく、友達と交換したプリクラもたくさん貼っていた。プリ帳にプリクラが増えるたびに、なぜか嬉しい気持ちになった。

 

なにが、当時の私たちをあれほどまでに熱中させたのだろうか。

可愛く写るから・・・?落書きが楽しいから・・・?

 

それらももちろんあるけれど、一番の答えは、単純にその瞬間を形に残したかったからだったように思う。

現在のようにスマホが手元になかった子供時代、友達とちょっと遠くまで自転車で遊びに行ったり、放課後に近くのスーパーのイートインで遊んだり、友チョコを送りあったり、そんな何気無いけど忘れたくない思い出を残す手段はプリクラしかなかった。

妹と写る家族写真はたくさんあるけれど、小学校の友達との写真は、遠足や運動会など、一年のうちわずか数日間のものしかない。あんなに毎日一緒にいたのに。

 

改めてプリクラを見返すと、お年玉をはたいて買ったエンジェルブルーの服をドヤ顔で着ていたり、小学校の体操着を着ていたり、その当時流行っていたエイミーブルーのイラストが描いてあったり、アゴピースをしていたり、クラスの流行語が書かれていたりと、当時の日常が面白いくらいに浮き彫りになっている。そして何より、そこにはもう二度と戻らない小学生の頃の私たちの、気取らない、無邪気な表情がたくさん残っていた。プリクラを眺めていると、遠足や運動会のスナップ写真よりもずっと、懐かしくて温かい気持ちになる。

 

プリクラとは、消えゆく日常への、抵抗だったのではないだろうか。

我々は非日常ばかりを記録に残してしまうが、心のどこかで、日常だって同じかそれ以上に、大切にしたいと思っているのではないだろうか。

 

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絶叫系が超苦手な私がラフティングをしてきた話

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 私(https://twitter.com/sounds_shick)は絶叫系がものすごく苦手だ。

どのくらい苦手かというと、ディズニーシーのセンターオブジアースやタワーオブテラー、USJのハリドリ、ジュラシックパークには一切乗れないほどである。そんな私がなぜか、同期に誘われてラフティングをしてきたのだ。そこで本記事では絶叫系が苦手な人から見たラフティングについて、一切遠慮することなく正直に紹介していこうと思う。

目次

 

現地到着と準備

 

私たちは群馬県みなかみ町にある、フォレスト&ウォーターみなかみでラフティングを行った。時期は7月中旬、まだ梅雨の明けない肌寒い時期である。

 

はじめに施設から借りたライフジャケット、ヘルメット、ウェットスーツを着用し、川辺で安全講習を受けた。この安全講習は10~15分ほどかけ、とても丁寧に行っていただいた。

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万が一船から落ちた場合の引き揚げ方の講習

 安全講習を受けたら、いよいよ出発である。

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出発前の緊張感のある笑顔

 ヘルパーさんと急流

 万が一人が落ちて流された時のために、私たちが乗るボートの数十メートル前には常にヘルパーさんのボートがいた。ヘルパーさんは万が一の時だけでなく、岩に引っかかったりしたときに助けてくれたりと、とても心強い存在だった。

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しばらく進むと、何ヶ所か急流があった。が、予想外に急流は全く怖くなかった。今回の場合は大きな落差もなかったため、絶叫系特有のふわっと感も、特に感じなかった。なお余談であるが、ツアーの途中には日本初のバンジージャンプ台もあった。もっとスリルを求める方は、ラフティング終了後に、そちらへ行ってみてはいかがだろうか。

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急流にはしゃぐ私たち

 川泳ぎと恐怖の飛び込み

 川の流れが緩やかな所へ来ると、ガイドさんが川泳ぎの時間をくれた。ライフジャケットを着けているので基本的に溺れることはなく、決して怖いものではなかった。強いて言えば、川からボートに上がるのが意外と大変なくらいだった。

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泳ぐ人々

 急流も川泳ぎも大丈夫だったことで、私はすっかり安心していた。が。ツアー終盤、突如としてその時はやってきた。5mの高さからの飛び込みタイムである。崖から飛び降り、向かいの岸まで泳いで渡るという、絶叫苦手勢からしたら今すぐ逃げ出したくなるような企画である。

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元気に飛び込む人

高さは大中小から選べ、ほかの子は皆、大から元気に飛び込んでいた。が、絶叫系が苦手な私は、小すらも飛び込めなかった。どうする私・・・

しかし、ガイドさんにそのことを相談すると、一切無理強いすることなく、あっさりと向かいの岸までボートで送ってくれた。f:id:yuripin:20190713233850j:plain

飛び込めなかった人(わたし)

 まとめ

 

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ツアー終了後の達成感のみなぎる笑顔

結論として、絶叫系が苦手な私でも、ガイドさんの気遣いのおかげで一切不快な思いをすることなくラフティングを楽しむことが出来た。今度は春、もっと水量が多くスリル満点な時期に行きたいと思う。

 

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憧れのUCLAを歩いて考えたこと

 

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憧れのUCLA

 

「UCLA」という響きに強い憧れがあった。

西海岸の青空の下、ハリウッド映画に出てくるようなオシャレでキラキラしたキャンパスライフが繰り広げられる場所。それが、私(https://twitter.com/sounds_shick)のUCLAのイメージだった。

というわけで、憧れを実現してみることにした。

売店でUCLAトレーナーを買い、着替えてキャンパス内を歩いてみた。眩しい日差しの下、美しい建物の中を歩くだけで心が踊った。ランチをテイクアウトしてベンチで食べてみたりもしたが、学生たちが喋っているのを見るだけで、とても楽しかった。

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UCLAトレーナーを着て、キャンパスを歩いてみた

歩いていると、様々な催し物の勧誘をされた。もしも私がここの学生だったなら、好奇心でこの勧誘を受け、多様なバックグラウンドを持った学生たちとたくさんの思い出を作るんだろうな、等と架空のキャンパスライフに思いを馳せる。そんな生活を考えるだけで、ワクワクが止まらなかった。

 

でもこの気持ちは、以前にも感じたことがあるものだった。

それは、自分の大学に入学した頃のことだった。キャンパス内を歩く度にサークルの勧誘を受け、新歓に行く度に全国から来た様々な学生と知り合った。毎日がとても新鮮で、日々朝から夜までワクワクしていた。

 

もちろん私の大学はUCLAよりもずっと小さいし、寝転がれる芝生はないし、大学が一丸となって応援するスポーツチームもない。残念ながら立派な設備もない。でも確かに、入学した頃の私は、UCLAを歩いている時と同じようなことにワクワクしていた。

 

そのことを思い出した時、結局世界中どこにいても、その人の基本的な行動や心情は、さほど変わらないのかもしれない、と思った。私はどこに行っても、同じようなことで一喜一憂し、同じような人と親しくなり、同じような趣味を持つような気がした。

 

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UCLAグッズを身につけ、キャンパス内を歩く学生たち

「環境で人は変わる。より良い環境に身を置こう。」という趣旨の言葉をよく目にする。でもそれは、「元々持っていた素質を、より活かすことができる環境に身を置こう」と言い換えることができるのではないだろうか。

 

人は、すごそうな人や環境に、なんやかんやで盲目的に突進しがちである。でもその前に、もっと自分自身について深く知るべきなのかもしれない。

 

物事を選択する際、対象の性質はしっかりと分析するものの、自分の分析については、大雑把というか、おざなりになっているケースは多い。

あの店のパンが好き、パリピとなぜか馬が合う、塩顔イケメンが好き、金木犀の香りが好き、陰口が多い人が苦手、コバルトブルーが好き、工作が好き、同時に2つのことをするのが苦手、人前で話すことが得意、などの見逃しがちな素朴な性質から1つ1つ丁寧に把握することで、より良い意思決定が行えるのではないだろうか。

 

UCLAでマフィンを頬張りながら、そんなことを考えていた。

 

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町家を用途変更する際に、伝統的な意匠を残しにくい箇所について

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 こんにちは!

旅とイスラム建築と古建築が好きな大学院生、yuripin(https://twitter.com/sounds_shick)です。

 京都や奈良では、伝統的な町家を改装して、ゲストハウスやカフェにする動きが見られます。しかし現状として、改装の際に、伝統的な町家の意匠が消えてしまう物件が数多くあることも事実です。

そこで本記事では、町家の伝統的意匠の保存が困難になりやすい箇所と、実際に用途変更をしつつ改装を行った町家の事例について紹介していこうと思います。

 

伝統的意匠の保存が困難になりやすい箇所

築年数が古く、現行の建築基準法等に適合しない建物は、「既存不適格建築物(建築基準法3条2項)」となる。

その用途に供する部分の床面積が100㎡を超えず、用途変更を行わない場合は、現行の建築基準法は遡及適用されない。しかし、増改築、大規模の修繕等をする場合は遡及適用され、さらに、その用途に供する部分の床面積が100㎡を超え、用途変更を行う場合にも、一部が遡及適用されることになる。

用途変更をする際に、町家の伝統的意匠の保存が困難とする事例について、以下の表にまとめる。

町家を用途変更する際に意匠の保存が困難になりやすい事例 関連する建築基準法と建築基準法施行令
1階の軒 道路に突出した庇は敷地内に収めなければならない(法第44条)
角地に建つ町家の妻側の屋根、ケラバ 道路に突出した庇は敷地内に収めなければならない(法第44条)
昔、早いうちに改築したものを元の町家の形に戻したい場合 昔、早いうちに改築したものを元の町屋の形に戻したい場合:増築扱いとなり、現行の法律に合わせなければならず、難しい。
(法第3条3項)
部材 部材は、現在の法律で検査を通ったものしか使えない。そのため、新たに町屋を増築、新築しようとした際には既製品を組み合わせた形でしか設計することができない。(法第68条の10)
間仕切り壁 条例で定めた用途に供する防火上主要な間仕切り壁は準防火
構造とし、屋根裏に到達していなければならない。(令第114条)
外壁、軒裏 準防火地域内にある木造建築物は、延焼の恐れのある部分の外壁、軒裏を防火構造に改修しなければならない。(法第62条)
全体 構造計算による安全性の確認(法第20条)

 

〇1階の軒

町家では、1階の軒が道路の境界からはみ出していることがある。しかし、建築基準法第44条により、用途変更を行う際は軒を短くしなければならない。

 

〇角地に建つ妻側の町家の屋根、ケラバ

角地に建つ町家では、妻側の屋根やケラバが道路にはみ出していることがある。しかし、建築基準法第44条により、用途変更を行う際は屋根やケラバのはみ出している部分を短くしなければならない。

 

〇昔、早いうちに改築したものを元の町家の形に戻したい場合

建築基準法第3条3項により、元の町家の形に戻すことは増築扱いとなり、現行の法律が遡及適用されるため、伝統的な町家本来の形にすることは難しい。

 

〇部材

建築基準法第68条の10により、現行の法律で町家を新築、増改築、大規模の修繕等をしようとする場合、部材は検査を合格したものしか使えない。そのため、規定の大きさの部材を集めてつくることになる。その結果、町家が決まりきった形になってしまい、風土に合った、その土地ならではの街並みが形成されにくくなってしまう。

 

〇間仕切り壁

建築基準法施行令第114条により、条例で定めた用途に供する防火上主要な間仕切り壁は準防火構造とし、屋根裏に到達していなければならない。その結果、伝統的な町家の形が維持されにくくなることがある。

 

〇外壁、軒裏

建築基準法第62条により、準防火地域内にある木造建築物は、延焼の恐れのある部分の外壁、軒裏を防火構造に改修しなければならない。その結果、伝統的な町家の形が維持されにくくなることがある。

 

〇全体

建築基準法第20条により、構造計算によって安全性を確認しなければならない。その結果、足りない部分があれば壁を足したりしなければならず、伝統的な町家の形を維持しにくくなることがある。

実際の物件の検証①

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事例①の外観

事例①は、奈良県高市群明日香村に建っていた築約150年の町家を改築した、町家ゲストハウスである。

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事例①の概要

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事例①の平面図(工務店が作成した平面図の写真を基に、筆者が作成)

 

◇用途変更上町家の伝統的意匠の保存が困難とされる箇所の分析

〈1階の軒〉

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1階の軒は、もともと道路の境界からはみ出していなかった。そのため、軒を切断することはなく、改築以前の形を保持している。

 

〈町家の妻側の屋根、ケラバ〉

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中庭から見た東側正面と東側隣家

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改修前の東側正面と東側隣家

この建物は角地に建つわけではないが、改築以前、東側の妻側の屋根、ケラバは隣家の屋根に被っていた。そのため、改築をする際に被っていた部分の屋根を切断し、切断部を新たにトタンで補っている。これは意匠の維持を妨げているだけでなく、隣棟間の雨仕舞を損なっており、問題である。

 

〈部材〉〈間仕切り壁〉

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帳場天井

母屋の一部(エントランス、帳場、共有スペース)と蔵は、改築前の姿をほぼそのまま残している。部材は、壁や天井を塗りなおしてはいるものの、改築前のものが使われ、防火上主要な間仕切り壁の増設もなかった。

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ダイナー

一方で、母屋の一部(台所、ダイナー)と離れ(シャワールーム、トイレ、混合ドミ、女性ドミ)では、骨組みのみを残し、大規模な改築が行われている。部材のほとんどで現行の法律の規定のものが使われ、間仕切り壁も新設しており、壁紙も準耐火素材を使用している。

 

〈外壁、軒裏〉

この物件は、準防火地域内にないため、延焼の恐れのある部分の外壁、軒裏を防火構造にする必要はない。

 

〈全体を通して〉

母屋の一部と蔵では町家の伝統的な意匠が全面的に保存されているが、母屋のダイナーと台所、離れにおいては町家の伝統的な意匠が保存されているとは言い難い。しかし、それは決して否定すべきことではない。町家の意匠の保存を優先すること同様に、機能的な空間を創ることにも、大きな価値がある。

 

実際の物件の検証②

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事例②の外観

事例②は、京都府京都市上京区に建つ築約100年の町家を改築した、町家ゲストハウスである。

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事例②の概要

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事例②の平面図(設計者作成)

◇用途変更上町家の伝統的意匠の保存が困難とされる箇所の分析

〈1階の軒〉

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事例②の外観正面と西側隣家

1階の軒は、もともと道路の境界からはみ出していなかった。そのため、軒を切断することはなく、改築以前の形を保持している。

 

〈町家の妻側の屋根、ケラバ〉

改築の際に切断をすることはなく、改築以前の意匠を維持している。

 

〈部材〉

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フリースペース

この物件は、宿泊客に築約100年の町家の雰囲気を楽しんでもらうことをコンセプトにしているため、改築はほとんど行われていない。また、壁の塗り直しなどの小規模な改築においても、町家の意匠を保持するために、伝統的な技法を用いて行っている。そのため、下記に述べる間仕切壁以外は、現代的な部材が宿泊客の目に触れることはほとんどなく、全体を通じて伝統的な部材がほぼ改築前の状態で使われている。

 

〈間仕切り壁〉

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女性専用ドミトリー内部から見た間仕切壁

2階の女性ドミトリーとその前にある廊下は、もともと一部屋の和室であった。しかし、町家GHとする際に、デラックスルームの宿泊者の経路を確保するために、和室の中に壁を設け、女性ドミトリーと通路とに分断している。

 

〈外壁、軒裏〉

この町家GHは、準防火地域内にある木造建築物である。したがって、建築基準法第62条により、延焼の恐れのある部分の外壁、軒裏は防火構造としなければならないが、この町家GHでは、野地板厚を確保することによって防火構造とし、伝統的な町家の意匠が維持されている。

 

〈全体〉

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スタッフルーム前の通路

全体を通して、町家の伝統的な意匠が維持されていた。

 

実際の物件の検証③

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事例③の外観

事例③は、京都府京都市上京区に建つ町家を改築した、町家ゲストハウスである。

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事例③の概要

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事例③の平面図(設計者作成)

◇用途変更上町家の伝統的意匠の保存が困難とされる箇所の分析

 

〈1階の軒〉

1階の軒は、もともと道路の境界からはみ出していなかった。そのため、改築以前の形を保持している。

 

〈町家の妻側の屋根、ケラバ〉

改築の際に切断をすることはなく、改築前の意匠を維持している。

 

〈部材〉

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和室の壁塗り作業

この物件は、計画当初から客に伝統的な町家の意匠を楽しんでもらうことを重視しており、大規模な改築はほとんど行われていない。また、壁の塗り直しなどの小規模な改築においても、町家の意匠を保持するために、押入の中は漆喰を塗り直し、部屋は聚楽壁にするなど、伝統的な技法を用いて改築を行っている。そのため、全体を通じて伝統的な部材がほぼ改築以前の状態で使われている。

 

〈間仕切り壁〉

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改修時の2階シングルルーム前

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現在の2階シングルルーム前

2階のシングルルームは、もともと階段と一続きであった空間に、間仕切壁を増設してつくられている。

 

〈外壁、軒裏〉

この町家GHは、準防火地域内にある木造建築物である。したがって、建築基準法第62条より、延焼の恐れのある部分の外壁、軒裏は防火構造になっている。しかしこの物件では、〈部材〉で述べたものと同様の理由により、伝統的な町家の意匠が維持されている。

 

〈全体〉

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フリースペース

全体を通して、町家の伝統的な意匠が維持されていた。

おわりに

 いかがだったでしょうか。

用途変更をしながら伝統的な意匠を保存するのは、簡単なことではありません。

しかし、設計者が「町家の意匠をなるべく残すぞ!」という強い信念を持ち改装を行えば、不可能なことではありません。

設計者の努力で、京都や奈良の町家が、今後も末永く受け継がれ続けることを願います。

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【5分で分かる】ゲストハウスの開業手続きの流れ

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こんにちは、

旅とイスラム文化と古建築が好きな大学院生、yuripin(https://twitter.com/sounds_shick)です!

最近、東京や京都をはじめ、観光地を中心に全国各地でゲストハウス(簡易宿所)が見られます。

旅行で京都へ行き、「将来、町家を買ってのんびりとゲストハウスを経営してみたいなあ・・」と思ったことがある人も多いのではないでしょうか。

 

しかし、いざ開業しようと思っても、ゲストハウスの開業手続きについてはほとんど情報がなく、困っているオーナーの方も多いかと思います。

そこで当ブログでは、ゲストハウスの開業手続きの一般的な流れについて、大学院で建築を学んでいる私が、分かりやすく解説してみようと思います!

 

1.宿泊施設型ゲストハウスの開業手続きの一般的な流れ

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※この図は、筆者が作成したものです。

宿泊施設型ゲストハウスの開業手続きの一般的な流れは、上の図のようになります。

(このように全ての手続きを図にまとめたのは、当ブログが日本初かと思われます)

建物の用途変更を行う場合と行わない場合とで必要な手続きが異なるので、注意が必要です。

 

2.用途変更ってなに?

ゲストハウスの法律上の名称は、「簡易宿所」といいます。

しかし現行の法律では、簡易宿所として使う部分の床面積の合計が100㎡を超えない場合、建物の用途変更をしなくてもよいということになっています。

 

つまり、ゲストハウスとして使う床面積の合計が100㎡を超えない場合、法律上は簡易宿所ではなく、町家の元の用途(住居であることがほとんど)のままとなるため、用途変更をした場合は営業することのできない、第一種低層住居専用地域、第二種低層住居専用地域、第一種中高層住居専用地域、第二種中高層住居専用地域でも、簡易宿所を営業することができるようになります。

 

3.手続きを行う人(用途変更なしの場合)

f:id:yuripin:20190123034124p:plain※この図は、筆者が作成したものです。

それでは、上で紹介した手続きは、実際に誰が行っているのでしょうか。

京都と奈良のゲストハウスのオーナーに、筆者がインタビューを行ったところ、上の図のような結果となりました。頑張って自分で手続きを行う人から、ほとんど全てを行政書士に丸投げする人まで、様々な人がいることが分かります。

 

 

4.手続きを行う人(用途変更ありの場合)

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※この図は、筆者が作成したものです。

続いてこちらは、用途変更を行ったゲストハウスの事例です。

用途変更をするだけあって経営者の方のモチベーションが高く、オーナーや、ゲストハウスの運営会社が、自分でできるところはなるべく自分で行なっている姿勢が見られました。

 

5.おわりに

いかがだったでしょうか。

ゲストハウスの開業は手続きが多く、嫌になってしまうことも多いかと思いますが、当記事を参考に、自分のペースで頑張ってみてください。

このブログが、ゲストハウスの開業を志す皆さんの手助けになれば幸いです。

  

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【実際に行ってみて分かった!】ブハラでやりたいこと15選 vol1〜ウズベキスタン周遊4日目〜

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 こんにちは!

旅とイスラム建築が大好きな大学院生、yuripin(https://twitter.com/sounds_shick )です。

ウズベキスタン周遊4日目は、ブハラを目一杯観光してきました。

 

1日目の記事はこちら

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2日目の記事はこちら

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3日目の記事はこちら

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そこで本記事では、ブハラでやりたいこと15選のうち、ブハラでまず最初に行くであろう、カラーンモスク周辺で出来ることに絞り、5選を紹介していきます。

残りの10選については別の記事で紹介していくので、そちらもぜひ読んでみてください!

 

目次 

日程

 ※1日目〜3日目の記事は、下の関連記事にあります。

1日目:成田空港〜タシュケント空港、ホテルウズベキスタン宿泊

2日目:タシュケント空港〜ウルゲンチ空港、ヒヴァ観光

3日目:ヒヴァ〜ブハラまでバス移動、ブハラ泊

▶︎4日目:ブハラ観光、ブハラ泊

5日目:シャフリサブス観光、サマルカンドへ移動、サマルカンド泊

6日目:サマルカンド観光、サマルカンド泊

7日目:タシュケントへ移動、タシュケント観光、タシュケント空港発

①ナンを食べる

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朝食バイキング。クレープが美味しかった。

旅は、体力を消耗する。良い旅をするには、朝からしっかり食べることが大切。

 

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雑貨屋さん

ブハラの中心街を歩く。この国は、布製品のデザインがとても豊富。 

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ウズベキスタンの伝統的なパン、ナン。

ウズベキスタンでは、街のいたるところで、このような形でナン(ウズベキスタンの伝統的なパン)が売られている。実際に見ると、サイズも大きく厚みもあるので、1枚を家族みんなで分けられそう。

というわけで、ナン屋さんで実際に製造工程を見せてもらった。

 

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ナンの生地をこねるおじさん

パン作りは力仕事、とは聞くけれど、こんなにも「力仕事」という言葉が似合うおじさんが作っているとは。

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生地を量る

 

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かまどで焼き上げる

土壁に貼り付け、焼き上げる。日本では絶対に見られない光景である。

 

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完成!

パラパラと焦げを削り落とせば、完成!

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出来立てのナンは、もちもちカリカリで美味しかった

1枚のナンを、18人で分けあって食べた。出来立てのナンは、外はカリカリ、中はもちもちで、とても美味しかった。ナンを食べる際は、お店で焼きたてを購入することをオススメする。

②カラーンミナレットに行く

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絨毯がたくさん売られていた

続いて、ブハラのシンボルである、カラーンミナレットへ向かう。途中の広場では、ウズベキスタンらしく、たくさんの絨毯が売られていた。

 

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ブルーが美しい

イスラム圏の中でも中央アジアとイランは特にブルータイルが発達している地域であり、街中で売られている雑貨も、青色のものが多い。ブルー好きにはたまらない国である。

ちなみに、私は現在、ウズベキスタンで青い食器を買ってこなかったことを、とても後悔している。

 

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カラーンミナレット(1127)

1127年にできた、カラーンミナレット(写真左の塔)。1127年というのは、まだブルータイルが登場していなかった時代である。この当時のイスラム建築はレンガ造りが主流であり、この塔もレンガで造られたものである。カラーンミナレットは、ウズベキスタンの中でもトップクラスに古いイスラム建築なのだ。

 

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カラーンモスクの中にて

カラーンミナレット横にある、カラーンモスクの内部にて。中は、広大な広場になっている。

「イスラム建築の魅力と面白さvol2」でも語ったが、このように、内部空間の充実を最重要視し、外部に表れる形態は二の次とする(皮膜的建築と呼ばれる)のは、イスラム建築の大きな特徴の1つである。

 

▼皮膜的建築の詳細はこちら

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カラーンミナレットの向かいにある神学校

カラーンモスクを出て、向かいにある神学校へ向かう。私も、こういう荘厳な建物で勉強してみたい。

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どんなに偉大な建築も、近所の子供にとってはただの遊び場

神学校の前で遊ぶ兄弟。私も小さい時、社宅でこうやって遊んでいたなあと懐かしい気持ちになる。旅をしていると、子供の遊び方は世界中どこへ行っても同じだなあと思う。

 

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世界遺産の中で走り回っている

 

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カラーンミナレット前にある神学校の入り口

③ハサミ・ナイフを買う

ブハラ土産の定番といえば、コウノトリの形のハサミと、ナイフである。

街中のいたるところで売っているが、品質を重視するならば、各国のコンクールで賞を受賞している、ナイフ・ハサミ作りの名人、サイフッロー・イクラモフス氏の工房兼直営店がオススメである。

 

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サイフッロー・イクラモフス氏の工房兼直営店

 

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ブハラの中でも、この店のものは特に高品質で有名

前日にスザニを購入したこともあり、実は私は購入しなかったのだが、帰国後、買ってくればよかったととても後悔している。

というのも、これだけの切れ味のよさで、こんなにカッコいいデザインの手作りナイフ(しかも価格もお手頃)なんて、日本では見かけることが無いからである。

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購入していないのに、ちゃっかり写真だけ撮ってきた

周りの友人たちが購入していたのだが、このお店では名前を入れてもらうこともでき、皆、とても喜んでいた。ああ、買ってくればよかった・・・

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笑顔でお見送り

④バザールを歩く

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バザールに入る

お土産物を見るのも、旅の楽しみの1つ。私たちが行ったタキ・バザールでは、様々な種類のお土産物が売っていた。 

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ウズベキスタンの絵は、ディズニーの絵柄に雰囲気が少し似ていて可愛いらしい

絵は世界中の観光地で売られているが、地域ごとにスタイルが全然違うから面白い。

 

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前日に購入した木箱

こちらはブハラで前日夜に購入した木箱。ウズベキスタンの絵には、ディズニーのような愛らしさがある。

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読書の際に使う、本スタンド

 木製の本スタンドも、ウズベキスタン中で非常によく見かけた。これがあれば、どこでも分厚い本を開くことができる。

 

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ウズベキスタンの布は、見ていて飽きない

 

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前日に購入したスザニ

シルクの布に、1針1針手縫いで刺繍が施されているスザニは、宝物である。

 

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私が訪れた日は、けっこう空いていた

ウズベク人は親日の人が多いので、店員さんに気軽に話しかけてみよう。

⑤ウズベキスタンの名物!プロフを食べる 

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Adras Theatre Restaurant前にて。急いで制服を着る店員さんたち。

プロフとは、炒めた米を様々な具材とともにブイヨンで炊いた、イスラム圏一帯で幅広く食べられる料理である。(要するに、ピラフ)

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付け合わせ

 

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プロフ!

ウズベキスタンのプロフは、粘り気の少ない長粒種の米が使われているせいか、日本のピラフよりもパラパラしていて美味しかった。

まとめ

いかがだっただろうか。

本記事では、ブハラで やりたいこと15選のうち、カラーンモスク周辺で出来ることに絞り、5選を紹介した。後半戦でも、絶景やダンスなど、ブハラの様々な魅力を紹介していきたいと思う。

 

旅をすると、怒涛の勢いで、自分の知らない文化と向き合うことになる。その際に、自分が何を感じ、何を考えるのか。旅は、自分自身を深く知る良いきっかけになる。

ウズベキスタンは、治安の心配をすることなく、イスラム文化を存分に堪能することができる、大変素晴らしい国である。ぜひ1人でも多くの人に、日本とは全く違うイスラム文化を全身で感じ、自分自身と対話して欲しいと思う。

 

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