憧れのUCLAを歩いて考えたこと
「UCLA」という響きに強い憧れがあった。
西海岸の青空の下、ハリウッド映画に出てくるようなオシャレでキラキラしたキャンパスライフが繰り広げられる場所。それが、私(https://twitter.com/sounds_shick)のUCLAのイメージだった。
というわけで、憧れを実現してみることにした。
売店でUCLAトレーナーを買い、着替えてキャンパス内を歩いてみた。眩しい日差しの下、美しい建物の中を歩くだけで心が踊った。ランチをテイクアウトしてベンチで食べてみたりもしたが、学生たちが喋っているのを見るだけで、とても楽しかった。
歩いていると、様々な催し物の勧誘をされた。もしも私がここの学生だったなら、好奇心でこの勧誘を受け、多様なバックグラウンドを持った学生たちとたくさんの思い出を作るんだろうな、等と架空のキャンパスライフに思いを馳せる。そんな生活を考えるだけで、ワクワクが止まらなかった。
でもこの気持ちは、以前にも感じたことがあるものだった。
それは、自分の大学に入学した頃のことだった。キャンパス内を歩く度にサークルの勧誘を受け、新歓に行く度に全国から来た様々な学生と知り合った。毎日がとても新鮮で、日々朝から夜までワクワクしていた。
もちろん私の大学はUCLAよりもずっと小さいし、寝転がれる芝生はないし、大学が一丸となって応援するスポーツチームもない。残念ながら立派な設備もない。でも確かに、入学した頃の私は、UCLAを歩いている時と同じようなことにワクワクしていた。
そのことを思い出した時、結局世界中どこにいても、その人の基本的な行動や心情は、さほど変わらないのかもしれない、と思った。私はどこに行っても、同じようなことで一喜一憂し、同じような人と親しくなり、同じような趣味を持つような気がした。
「環境で人は変わる。より良い環境に身を置こう。」という趣旨の言葉をよく目にする。でもそれは、「元々持っていた素質を、より活かすことができる環境に身を置こう」と言い換えることができるのではないだろうか。
人は、すごそうな人や環境に、なんやかんやで盲目的に突進しがちである。でもその前に、もっと自分自身について深く知るべきなのかもしれない。
物事を選択する際、対象の性質はしっかりと分析するものの、自分の分析については、大雑把というか、おざなりになっているケースは多い。
あの店のパンが好き、パリピとなぜか馬が合う、塩顔イケメンが好き、金木犀の香りが好き、陰口が多い人が苦手、コバルトブルーが好き、工作が好き、同時に2つのことをするのが苦手、人前で話すことが得意、などの見逃しがちな素朴な性質から1つ1つ丁寧に把握することで、より良い意思決定が行えるのではないだろうか。
UCLAでマフィンを頬張りながら、そんなことを考えていた。
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