停電した街と江南スタイル
あの夜、国籍も言葉もバラバラの大学生たちが、ベトナムの片田舎で踊っていた。
2013年夏。私たちは大学1年生で、夏休み限定でベトナムにあるハノイ貿易大学へ留学していた。この大学には他にも様々な国から留学生がきていた。あるとき、ハノイから車で数時間走ったところにあるハロン湾へ観光へ行くことになり、そのついでに近くにある大学の分校で歓迎パーティーを開いてもらえることになった。
行きのバスから帰りのバスまで、私たちはドイツ人学生と行動を共にした。彼らはとても陽気で、常にビールをあおるように飲み、好きなときにバスを止めて用を足し、好きな音楽をジャンジャンかけていた。
この日、ハロン湾の天気は最悪だった。ビーチを散歩しているとひどい土砂降りにあった。同じ学科から一緒に参加していた友人と途方に暮れて立ち尽くしていると、チャラいなあと軽蔑していたドイツ人学生がタクシーを呼び、お金を払って送り届けてくれた。
人間というのは単純なもので、これ以降しばらくの間、私は彼に少し憧れていた。
夜。いよいよパーティーがはじまった。それぞれの国の学生が、自国で流行っている歌やダンスを披露する。
ドイツ人学生が場を盛り上げる。
それぞれの発表が終わり、パーティーもお開きかと思われたそのとき。突如として、当時世界中で流行していた江南スタイルが会場中に響き渡った。
すると、それまでの少し堅かった雰囲気が一変した。国籍を問わず全員が立ち上がり、まるで何かに取り憑かれたかのように熱狂的に踊り出したのだ。じつは私はこの曲を知らなかったのだが、なぜか周りと同じかそれ以上に、体が勝手に動きだしていた。
さきほどまで赤の他人だった言葉もろくに通じていない学生たちと、ベトナムの片田舎で踊りくるった。あらゆるしがらみから解放され、刹那的な喜びを全身で感じていた。幼少期に8年間クラシックバレエを習ったのだが、その8年間のどの瞬間よりも、心のままに情熱的に踊り狂った。
ホテルに帰ると、なぜか街中が暗闇に包まれていた。もちろんホテルにも明かりが一切ない。聞くと、街中で停電が起こっており、復旧には3時間ほどかかるとのことだった。この街ではよくあることらしいが、私にとっては生まれて初めての本物の暗闇世界だった。
電気がなければ部屋にいても何もできない。そこで、ドイツ人学生と私たち日本人学生は、ビーチで飲み会をすることになった(といっても当時未成年だった私は、水しか飲まなかったのだが)。飲み会では、恋愛の話や専攻の話、これまでの旅行の話など、普段サークルで話しているような、ありきたりな話しかしなかった。それなのに、ベトナムの真っ暗闇の片田舎にいるという不安感からか、まるで、世界を大きく揺るがすような特別な秘密会議をしているような気がしていた。
その後、タクシーの彼にお別れの手紙を渡し(ラブレターではない)、Facebookを交換して帰国した。帰国後も2、3通メッセージのやりとりをしたものの、今ではFacebookの友達リストの中にいるだけの関わりしかない。彼らとは、おそらく今後二度と会う機会はないだろう。それでも、あの刹那的ですこし哀愁のある思い出が私の心の中にあるかぎり、彼らはいつまでも、わたしの大切な友人なのだ。
普段私は「期日までにこの仕事をしなければ」「将来のためにこれをしなければ」などと、刹那的という言葉とは真逆の生活を送っている。でも本当は、もう少しあと先を考えず、今この瞬間を充実させることに集中してみてもよいのかもしれないと、最近思うのだ。
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